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ノンマルト通信Express

フリーランスで自由自治

公園で思ったこと

所感

図書館で本を借りてから、近くの公園をブラブラ歩いた。今日は夏のような暑さで、Tシャツ1枚でも汗ばむ。芝生の感触を確かめながら、見晴らしいの良い丘の上まで歩いた。

木の下に置かれたベンチに座って、ぼんやり空を眺めていると涼風が身体を包んでくれる。20分程はじっと座っていたのだろうか。自然に触れて少し優しい気持ちになれたが、それでも心の底に溜まっている不安は消えない。

樹々の緑や子供たちの歓声に癒しを重ねるのは容易いが、それで悩みが消える程この世は甘っちょろくない。

言葉だけ前向きに取り繕ってみても、それは自分の本音から目を逸らしているだけだ。臭いモノにフタをしたから見えないだけで、ゴミは依然として心の中に溜まっている。綺麗事を言えば言うほど、ゴミが益々溢れかえり生活に支障を来すほどの悪臭を放つ。

努力や根性で何でも達成できると思い込んでいられるのは、学校という小さな箱庭にいる間だけだ。テストの正解は一つしかなく、出題範囲も決まっている。勉強の向き不向きはあるが、与えられた課題を素直に覚えれば褒めてもらえる実に安直な世界だ。

社会に出て中年に差し掛かると、人生の理不尽さにへこたれる経験は一つや二つではない。努力して自らのレベルが上がれば上がるほど、そこから先に進めないもどかしさを覚える。

努力を諦めるのは、努力をしなかったからではない。努力をして高いレベルの壁にぶち当たったからこそ、そこから先へは付いていけない事実を知るのだ。

努力すれば何でも叶うという万能感は、むしろ努力をしたことがない連中の青臭い戯言に過ぎない。努力が大事と言いながら、自分では何の成功体験もない幼児だから妄想に浸れる。大方、漫画の見過ぎだろう。

僕が人生に虚しさを感じるのは、成功体験がないからではない。人生の折々で目標を掲げて、それなりの達成感を覚えることもあった。

しかし、それらは社会的な実績にはならない。ちょっとした波風で、個人の成功体験など簡単に揺らいでしまう。問題をクリアしていけば能力が上がり、人間は成長し続けるという思い込みが錯覚に過ぎないと知ったのだ。

人生は積み重ならない。それまでにどんな成功経験があろうとも、ダメになる時はダメになる。壊れる時は壊れるしかないのだ。信用第一・顧客満足を掲げて誠実に振舞っても、幕と役が合わなくなれば芝居を退場するしかない。

恨めしいのは、誰が脚本家で自分にどんな役が振られているかを、人生は教えてくれない事だ。むしろ、人間が右往左往して困っている姿を見て楽しんでいる観客が、人生の正体なのかもしれない。

公園の緑と空と風は確かに心地よい。それでも僕は満たされない。神でも天でも人生でも構わないから言っておきたい。あんたが人間の芝居を観続けたいのなら、人間にもっと休息を与えるべきだ。

そして人間が困って嘆いている姿を見た時は、はっきりと分かるカタチで助け舟を出すべきだ。それが人間を作った者の責任だと思う。

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