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ノンマルト通信Express

フリーランスで自由自治

フリーランスはきつい

所感

またしても大きな決断を迫られようとしている。ここ数年のわだかまりが、昨年から今年の春にかけて清算されたかのように思えたが、どうやらまだ腰が定まらないらしい。

本当にきつい。サラリーマンのマンネリ生活に耐えられず、波風覚悟でフリーランスの道を選んだが、心休まる日々はどれほどあったろうか。

ずっと障害物競走を走り続けているかのようで、緊張感が抜けない。一つ難問をクリアしたと思ったら、また別のトラブルに悩まされる。それが人間の成長過程だと外野は囃すが、自分自身が疲れ切って摩耗していく様は耐え難い。

何の後ろ盾もないフリーランスは、呼吸をする以外、すべての活動を自腹で賄わなけらばならない。このプレッシャーは、実際に体験した者でなければ分からないだろう。自己啓発の本を読んで独立起業を夢見ても、サラリーマンから飛び出せる者はごく少数だ。

「こんな会社やめてやる」と勇んでみた処で、飼い主から離れる不安や、無一文になる恐怖には耐えられない。愚痴を言って酒を飲んでいるうちに、明日も満員電車に揺られる葦になる。

給料という兵站を失うことは、戦場で置き去りにされることを意味する。軍隊から見放された個人は、浪人として野犬として、自力で生き延びなければならない。

実際、脱サラして起業を試みても、軌道に乗る前に頓挫して、再びサラリーマンに戻る人は珍しくない。また、起業が成功したかのように思えても、10年20年単位でみれば、一貫して業績を拡大し続ける人は稀だろう。何度か浮かんでは沈んでを繰り返して、最後は水の泡と消える。

末路哀れがフリーランスの生態なのだ。それでもあえてフリーランスを選ぶのは、努力の美化や才能の有無ではない。集団行動とは馴染むことが出来ない、持って生まれた気性がそうさせるのだ。人の風上にも風下にも立ちたくない。ひたすら自由を求め続けたい。

心の奥の司令官が、僕に何をさせたいのかを知る由もない。ただ、僕が司令官の気に入らない道を進み続けようとすると、実力行使で行く手を阻む。

変わるタイミングなのに、僕がいつまでもそのサインに従わないでいると、とびきり大きな災厄で現状を破壊させる。「なんで此奴は丁寧な言葉で教えてくれないのだろう」と恨みたくなる。お陰で取り返しのつかない不幸も味わわされた。

今突きつけられている選択を、無条件で飲むことは出来ない。回避できるなら、現状を維持していたい。あまりにも早急で勝手過ぎる。生身の人間には、物理的制約があるのだ。テンポが早過ぎて、人生の提示するスクラップ・アンド・ビルドに付いていけそうもない。

といって人生の干渉が続くなら、いつかは壊されて変化を余儀なくされるだろう。「心の重荷を下ろせ」と宗教者は言う。神が手形を切ってくれるならそうもしたい。しかし、巷に溢れる神仏に何度も手を合わせたが、祈願に見合うリターンをもらった試しがないのだ。

結論、辛いときは眠ろう。辛いときは眠るしかない。食事をしっかり摂って、アルコールを少し嗜んでもいい。栄養補給をした上で、身体を横たえて目を瞑るのだ。世間からはちょっとタンマ、眠りに落ちて煩わしい思考から離れよう。辛いときは眠って逃げる。これが浪人の戦術なのだ。

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