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ノンマルト通信Express

フリーランスで自由自治

東京にはイスが無い

所感

久し振りに都内へ出た。電車に乗るのも数ヶ月振りだ。黄色い電車に揺られて30分、池袋副都心は埼玉県民が集う一大ターミナルである。

駅のホームに吐き出される乗降客を見ると、街行く人波の半数は埼玉県民に思えてくる。四分の一の人々は、アジア系の外国人だろうか。

池袋は、かつて僕が事務所を構えていた馴染みの街である。駅前にまだ三越があった頃なので、あれから7年も経つのか。

池袋駅サンシャイン60を結ぶLRTを走らせるのだと豊島区長がアピールしていたが、今のところ何の進展もない。その代り、豊島区役所が東池袋駅の近くに移転して、旧区役所の建物は解体工事の最中だった。

繁華街には商業施設が増えて街路も小奇麗になってきている。チェーン店の進出が目立ち、個人経営の飲食店が少なくなった。古くからあった喫茶店は、どこもチェーン店に鞍替えしている。

豊島公会堂の前には、公園を挟んでファッションビルが建っている。池袋には似合わない。新しいホテルが視界を遮り、文芸座の横丁からサンシャイン60を見上げることも出来なくなった。

勝手知ったる街並みをブラブラと歩き続けて気付いたが、休憩を取ろうにも気軽に座れるイスが無い。公園や路上、デパートや駅前広場を探しても、イスが全然見当たらない。

コンビニやチェーンの喫茶店はあちこちにあるが、無料で座れるイスが無い。昔は当たり前にあったバス停のイスも撤去されている。仕方なく花壇に腰掛けている人の姿を、あちこちで目にする。

これは異常だ。まるで休むことを許されず、立ち止まることを禁止されているかのようだ。近未来SFの様に、個人の自由を認めない冷たい監視社会に思えてくる。

技術が進んで生活は便利になり、街並みも整備されているはずなのに、社会からゆとりが薄れている。隊列を乱す者は許されない軍隊、もしくは規律に縛られた刑務所のような社会を、日本人は望んでいるのだろうか。

せめて帰りの電車では座っていきたいと思い、夕刻ラッシュ前に駅へ戻ったが、何やら様子がおかしい。電光掲示板の時刻が消えて、ホームには人々が溢れかえっている。

アナウンスを聞けば、停電の影響で電車が大幅に遅れているとの事だった。それでも、後から次々に乗客が押し寄せる。駅の中にはベンチも待合室もなく、将棋倒しを懸念しながら、構内で待ちぼうけを食うばかりだ。

休憩所はないのに、売店は駅のあちこちにある。立ち止まらずに働いて、お金を使い続けろと云うメッセージだろう。私鉄・JRを問わず、鉄道は公共施設という姿勢を忘れては困る。何よりも利用客の安全を図る事が、社会的な使命であるはずだ。

都合のいい時だけ民間と公共の顔を使い分けて、独占的に利益拡大を目論むのはフェアでない。そもそも駅の中で商売をする必要があるのか。物販は駅の外の商業地と棲み分けるべきではないのか。

政府や大企業に有利な論理で、街がリストラされていくようで悔しい。自営業や中小企業は厳しい経営を強いられる中、公務員や大企業の不祥事は有耶無耶にされて、赤字拡大・倒産危機の折には、税金投入で生き長らえる。

そこには、共存共栄の理念が置き忘れられている。イヤな言葉だが、日本人はエコノミック・アニマルである事を認めざるを得ない。

統計によれば、国民の大多数は中小・零細企業で働いている。大企業や公務員など、手厚い福利厚生の恩恵を受けている層は僅かしかいないのが実態である。

弱者である大多数の日本人は、自分自身の幸福や尊厳を捨ててしまったのか。いや、捨てさせられてしまったのか。こんなに弱く疲れ切った民族が、外国から来る観光客をおもてなしする気でいるらしい。思い上がりも甚だしい。

実力もない癖に、スローガンだけは勇ましいのが日本人だ。「24時間戦えますか」は月月火水木金金一億総活躍は「進め一億火の玉だ」。悲しいことに、日本人の心は未だ大政翼賛会に囚われたままでいる。

心の底で敗戦の罪悪感を引き摺ったまま、ビジネスという戦場で玉砕を強いられる。責任の所在を曖昧にしたまま一億総懺悔させられた国民には、いつまで経っても心に終戦が訪れないのだ。

疲れた時は気軽に休めるイスが欲しい。職業や収入の違いはあっても、僕たちは皆一人では弱い存在なのだ。「強気を助け、弱気をくじく日本人」、弱い者同士で手綱を締め合うのは愚かではないか。

国民は相見互い、労り合う気持ちを失ってはいけない。東京という大都市は益々発展拡大していくのに、そこで暮らす人々のパイはどんどん小さくなっていく。「東京平民」、そんな時代に逆戻りしているのかもしれない。

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