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ノンマルト通信Express

フリーランスで自由自治

自由とトンカツと繁華街

街探訪

先日食べそびれたトンカツ定食が心残りで、今晩も大宮へ出掛けた。オーダーストップはご免なので、7時過ぎに出掛けて8時ちょうどに大宮の繁華街へ着いた。

夜の8時前後では、夕食客で店内が混み合っている頃だろう。高島屋のジュンク堂がまだ開いていたので、エレベーターで7階まで上がった。特に読みたい本はなかったが、あちこちの書棚を眺めながら時間を潰した。

ジュンク堂の大宮店は、以前は大宮ロフトのテナントだった。その頃の大宮ロフトは、旧大宮西武百貨店だった建物で営業していた。

丸々一棟が大宮ロフト店として機能しており、古いながらも立派な雰囲気だった。大宮ロフトが閉店したのは3年前、跡地開発は駅前の集客に影響が出ると、議会でも話題になったことを思い出す。

ジュンク堂の移転先がどうなるかも一部で騒がれたが、まさか大宮高島屋のテナントに入るとは思わなかった。大宮の高島屋も古く狭い建物である。

高島屋は客層の年齢が高く、商品も年配向けが多かったので、ロフト時代の客層とイメージが結び付かなかった。

高島屋閉店の19時以降はエレベーターの前に警備員が立ち、7階とレストランのある8階のみに止まる。7階のワンフロアが、ジュンク堂で占められている。学生や仕事帰りのサラリーマンもよく見かけるので、現在でも街の回遊性は保たれている。

一度閉店した大宮ロフトは、西口にある大宮そごうのテナントとして再出発した。そごうの8階に三省堂書店と同居しており、かつての旗艦店の面影はない。

東口の高島屋に比べれば、建物が新しくて大きな西口のそごうだが、昭和時代に栄えた百貨店のスピリットの様なものが感じられない。

テナントビルの雰囲気であり、従業員同士も余所余所しい印象を受ける。以前、地下の食品フロアから贈答品をまとめて発送したことがあるが、違う売り場の商品はあまり関わりたくない感じだった。

老朽化を理由に移転した大宮ロフトだが、旧大宮西武百貨店だった建物は解体されずに、大宮ラクーンとして業務転換している。

パチンコ屋やドン・キホーテが入った雑居ビルであり、デパート競合時代を知る古い大宮人にとっては、少々残念だったかもしれない。

街の猥雑さが加味されてしまい、デフレと相まって大宮全体が日高屋化しているかの様だ。大宮駅の周辺だけでも、日高屋の系列店が十数件もひしめいている。

僕がトンカツ屋に行く時は、必ず大宮ラクーンでトイレを済ませてから店に入る。そして、「こんばんはー」と声を掛けてくる木の顔をしたおじいさんと挨拶を交わす。

繁華街の良い所は、人が回遊しながら街全体の利益に繋がっていることだと思う。必ずしも各店で買い物をしなくてもいい。

用事がなくても、フラフラと人が集まってくることで、潜在的な客数が増えていく。ちょうど、花の蜜を吸いに集まる昆虫が、意図せずに花の受粉を媒介する現象と似ている。

その点、敷地内で客を囲い込もうとする駅ビルやショッピングモールは、街の公益性を損なっている。私企業の金儲けしか頭にないのなら、大規模な開発は許容できない。

本来、街は誰のものでもない。誰のもでもないからこそ、様々な人々が集まって街の発展に寄与できるのだ。

昭和の地方都市の面影が残る大宮で食べるトンカツ定食は、街にまだ自由があった頃の感覚を思い出させてくれる。埼玉一の繁華街といっても、東京に比べればスローな時間が流れており、自由に腰掛ける場所がまだ残されている。

何をしてもいいし、何もしなくてもいい。本来、人生は誰からも強制されるものではない。他人も学校も会社も政府も、人の心に踏み入る権利はない。ワンコインのトンカツ定食で栄養を補充して、おせっかいで息苦しい監視社会にノーを突き付けよう。

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