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ノンマルト通信Express

フリーランスで自由自治

昔を偲ぶカップ酒『力士』

お酒

久し振りに清酒を飲んだ。以前は、おいしい地酒探しに凝っていた時期もある。しかし、清酒は保存状態で味が変わるので、取り扱いが難しい。開封後は早めに飲み切らないと、途端にお酒の気が抜けてしまう。同じ銘柄でも販売店で味が変わってしまう為、日本酒通は店選びから始まる。

清酒とうまく付き合うには、繊細さが要求されるので疲れてしまう。息抜きの為に酒を飲むのに、これでは続かない。結局、無難に楽しめる蒸留酒に落ち着いた。それでも、たまには清酒の複雑な味わいが恋しくなる。四合瓶では量が多いので、今晩は後腐れのないカップ酒を飲むことにした。

立ち寄ったスーパーの酒売り場では、たまたまカップ酒の特設コーナーが設けられていた。ワンカップは大関の登録商標らしいが、日本全国、沢山の蔵元からカップ酒が発売されている。パンダや猫のイラストをあしらった、デザインやネーミングで勝負のカップ酒も好評の様である。

定番の大関、白鶴、黄桜等のナショナルブランドは、下手な地酒を飲むよりハズレが少ない。どれも水準以上の出来なので、かえって面白味がない。地酒マニアは天邪鬼なのだ。ただし、晩酌酒のモットーは手頃な値段が第一である。300円以上のカップ酒も陳列されていたが、僕のセレクト眼からすぐに離脱した。

実売200円前後が、カップ酒の妥当な値段であろう。埼玉の地酒、『力士』のカップ酒が興味を惹いた。白いラベルに、太文字で書かれた力士の文字が力強い。力士と言えば、子供の頃には何度もTVコマーシャルを見かけた。「りっきっし〜」のCMソングが耳にこびり付いている。本醸造なので、蔵元のスタンダードの味が窺えるだろう。

金属のフタを開ける時は、酒がこぼれない様に瓶をしっかり押さえて、慎重に剥がしていく。カップ酒をわざわざグラスに注ぐ事はない。そのままカップに口をつけて、グビッと飲み込む。「おお、久し振りの日本酒だぁ」、芳醇でふくよかな味である。芋焼酎に慣れた舌には、清酒の膨らみと奥行きのある味が懐かしい。

冷やでそのまま飲んでも美味しいし、熱燗にしたら更に味覚が広がると思う。濃厚まではいかないが、端麗辛口やフルーティーとも違う旨口である。昔ながらの日本酒らしい模範的な味に仕上がっている。200mlのカップ酒を飲み干して、充分に満足出来た。これ以上、盃を重ねる必要はない。味に満足出来れば、量はそれ程求めないものだ。

若い頃に始めてカップ酒を飲んだ時、飲み終えたガラスカップを捨てるのが勿体なくて、コップ替りに使っていた事がある。ラベルを綺麗に剥がして、透明なコップとしてジュースを注いだりした。他の食器と同様にスポンジで洗い、何度か使用していたが、うっかり台所の端にぶつけると、あっけなく壊れてしまった。カップ酒に供用するガラスは、通常のコップ程の耐久性は与えられていなかった様だ。

その頃に住んでいたアパートは、昔ながらの○○荘と云う名前が付けられていた。1Dkの古い間取りで、風呂場にシャワーは無く、トイレは和式だった。洗濯機は玄関の外に置いて使用した。風の強い日は建物が揺れて心許なかったが、晴れた日はアパートのすぐ裏を流れる小川のせせらぎが長閑だった。

カップ酒を飲む時、僕にはアパートの台所の景色が浮かんでくる。東京でのサラリーマン生活は、その古いアパート暮らしから始まった。社会人として新鮮な気持ちで、毎朝駅までの長い道程を歩いた。仕事からの帰宅後、自宅でたまに飲む缶ビールやカップ酒は、自分が確かに大人になった実感を持たせてくれた。時には二日酔いがひどくて、何度か会社を休んだ事もある。

カップ酒を飲む時、僕は侘しくも愛おしい過去の日々に想いを馳せたくなる。

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