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ノンマルト通信Express

フリーランスで自由自治

昭和30年代の東京景色『少年探偵団』

映画

ホームページ作成ソフトを新しく導入した。動作は軽く、色々な機能が付いているのだが、その分覚える事も沢山ある。PDFや動画マニュアルに目を通してみても、要領を得ない。「習うより慣れろ」で、実際にサイト制作を続けながら体得するしかない。

煮詰まった時は、頭を休ませた方がいい。酒を飲みながらパソコンで映画を観る。これが僕のリラックス法だ。梅酒のホット割りで一息つこう。

Amazonプライムをチェックすると、新旧の映画・テレビ番組が新しく追加されていた。最近は特撮モノが充実しており、もう見ることもないだろうと思っていた子供の頃の作品に再会できる。

今日はぐっと時代を遡って、昭和30年代に公開された東映版の『少年探偵団』シリーズを選んだ。冒頭にはお馴染みのテーマ曲が流れて、気分は戦後の昭和へタイムスリップだ。

スタンダードの白黒映画で、岡田英次が明智小五郎を演じている。『また逢う日まで』で映画史に名を残すインテリ俳優も、長いキャリアの中では、子供向け番組や時代劇の悪役など、雑多な役もこなさざるを得なかったのだろう。

この作品、どうやら映画館で観た覚えがある。新文芸坐だったろうか。それとも、今はもうないどこかの名画座か。江戸川乱歩の特集上映で組まれた番組だったと思う。

物珍しさで映画館に足を運んだが、フィルムが途切れがちで、ストーリーがよく分からなかった。しかも、ラストは主人公達が捕らえられたまま爆破される唐突な終わり方で、尻切れトンボの様な印象が残っている。

劇中、犯人を追跡するシーンで、明治通りに架かる千登世橋に似た橋が登場した事を覚えている。当時は池袋界隈をうろついていたので、橋の造形と道路の構図が似ている事にピンときた。

もっとも、昭和30年代のロケなので、交通量は少なく周囲に建物も見当たらない。あの橋が千登世橋だったか今でも分からないが、今晩プライムで観た少年探偵団にも同様の橋が登場した。

主人公達が罠にはまり、爆破シーンで終わる辺りも同じ。ただ、映画館で観た少年探偵団に、岡田英次は出演していなかったと思う。明智小五郎はもっと地味な役者が演じていて、作品にあまり感情移入出来なかった。

事の真相は分からない。本当に僕は文芸坐で少年探偵団を観たのか、それさえも確証はない。その作品とプライムの作品が同一なのかも判然としない。本人が分らない位だから、他人が検証することも出来ない。

それだけ記憶なんて曖昧で頼りないものだ。しかも、その曖昧な記憶を拠り所に、人は人生観を語りたがる。個々の現実も、各人のドキュメント映画と見立てることが出来ようか。

いずれにしろ、あの爆破シーンの後がどうなったのか、やはり気になる。約60分と短い作品なので、続けて第二部も観る事にした。

当時の興行界では、続き物で客の興味を引っ張る手法は珍しくない。テレビが普及する前なので、娯楽を求めて寄席や劇場に通うのは日常的な光景だったのだろう。

第二部は岡田英次のナレーションで、前作のおさらいシーンから始まる。敵の罠にはまった主人公達が死んでしまっては物語が続かない。救出シーンはあっさりとした演出で、何もなかったかの様に新たな事件が起きた。

少年探偵団が犯人とやり取りする途上で、当時の東京近辺の景色が映し出され、その長閑な光景に驚く。道路は舗装されていない箇所が多く、車が走り過ぎると土埃が舞う。

建物は木造の二階建てが多く、高層のビルは滅多にない。鉄道の沿線には樹々が生い茂り、田園調布がある多摩川界隈は、その頃はまだ郊外の行楽地だった。

怪人二十面相に追われた少年が、遊園地に逃げ込むシーンが出てくる。遊具に紛れながら、少年の必死の逃亡が続く。

最後は大きな時計塔の展望台で捕らえられてしまい、『魔術師』を彷彿とさせる拷問が加えられ様とする。当時、映画館で観ていた子供達は、固唾を呑んでスクリーンに釘付けだったろう。

この遊園地、多摩川駅前にかつてあった多摩川園と推測される。現在は大田区が管理する公園になっているそうだ。映画は、その時代の風俗を記録する貴重なデータでもあるのだ。

半世紀以上も前の東京は、現代の東京とはまるで違う別の都市である。のみならず、当時の日本と現代の日本も、まるで違う別の国だ。

時代が違えば、人も違う。当時の人達は、戦争の記憶を留めながら日々を生きていたはずだ。当然、その頃の生活様式・常識や価値観は、現代とは別次元である。

誰もが自分の視点で評論家を気取るが、人類共通の現実なんてものは存在しない。結局、各人のフィルターを通して物事を解釈しているだけなのだ。

インターネットのブラウザの様に、それぞれが独自にアレンジして人生を眺めている。それは寂しい事かもしれない。しかし、現実に苦しめられる心にとっては、そこに救いがあるのかもしれない。

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